幸せになるウソについて

グランメゾン東京1話

 

 

 

 幸せになるウソ

皆さんウソについてどう思いますか?小さいころにウソはついたらいけないんだよ~と言われてきませんでしたか?しかし、年を重ねるごとにウソをつくことが全て悪いというわけではないことに気付いたと思います。いわゆる『幸せになるウソ』ですね。本当のことを言うよりも、ウソをついた方が自分だけが損をして、もしくは自分が損をせずにいられるので結果的にまわりが何も起きなくて済むといった感じですね。私もいくつかついたことはあります。みなさんも一度はあるんじゃないでしょうか?『グランメゾン東京』の一話にて、尾花が幸せになるウソをついているシーンから始まりました。尾花は二つ星レストランの料理長でしたが、ある日突然途絶えてしまうことになります。それは、首脳会談にてアレルギーであるナッツを混入してしまい、テロではないかと言われた。この事件から尾花は日本の恥と言われ、どこにも雇ってもらえなくなった。この時点で私は、徹底した管理を尾花自身が行えていなかったため引きおこってしまった、いわば自分のことは自分で守れということではないかと感じた。がしかし、話が進んでいった後半にナッツを混入したのは他の誰かでその人をかばうために料理長として、自分の仲間を信じてかばったということだった。これにはすごく感銘を受けた。正直、自分にできるかといわれればできないと思う。人ならば他人のことなんかよりも自分のことを一番に考えてしまうものである。そういったところから尾花はというよりこの話の展開は無意識に凄く気になってしまった。そこから尾花は再びレストランを作ってもう一度次は自分ではなく他人に三ツ星を取らせるためにレストランを始めることになる。これは尾花を知る人であれば、ありえないことである。それはこと料理に関しては他人の意見も聞き入れず、自分の思ったままにしか行動しないからだ。がこれは、性格の問題なので、私は本来尾花は優しい性格で他人の意見も陰で聞き入れ、参考にしていたのではないかと思う。まわりにもいないですか?表面上はあまり良くない性格をしているのに、実は良い性格の人って。私はそれは、「素直でない」からだと思う。素直になるのってなんともいえない恥ずかしさがありますよね。自我が芽生えてからそこの恥ずかしさに立ち向かうのはなかなかの覚悟が必要なんじゃないかと思います。そんなことをこの尾花には感じました。

 

努力は才能を超えられない

フランスの三ツ星レストランで面接を受けていた早見はミシュランにこだわりを持っている。それは世間は数字で人を評価するからだ。これは正しいと思う。小さいときは結果だけじゃなくてプロセスも大事で評価されていた。しかし、ある時から、結果だけが全てということに気付き始めた。その大きな要因は受験ではないかと思う。いくら受験勉強を頑張っても受からなければやっていない人と同じである。それを突き付けられたのがたしか大学受験の時である。ここで私は失敗した。失敗して、あぁ社会って結果が全てなんだあって思いました。それとおんなじ感覚かなと思いますね。早見はかなりの努力をしていました。でも、その努力が全く結び付いていないという。しかし、尾花はそこに注目せず、才能があることに気付いた。それは尾花が誰にも言っていないような料理の素材と調理の仕方を完全に見抜いた。この才能があれば自分と組めば自分にないものをもっているので、お店をやっていけると思ったのだろう。私は努力してもかなわないという人には必ずしも才能があって、誰かと組めばその力を最大限に発揮することができるので、人に頼ることも大切だと感じましたね。その自分と合う人を見つけて、一緒に何かしていきたいと思います。

では、このあたりで2話に期待して終わりたいと思います。

ありがとうございました。